「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」
で知られる真田幸村は
戦国時代末期〜江戸初期に活躍した武将で、
豊臣家のために最後まで戦ったことで知られる人物です。
本名は「真田信繁」で、「幸村」は後世に広まった通称です。
■1567年
信濃国の戦国大名
**真田昌幸**の次男として生まれる。
➤真田家は小大名だが知略で生き残る家
■1580年代
父とともに各大名の間で外交・軍事を経験。
豊臣政権下では人質として上洛し、
➤ **豊臣秀吉**に仕える武将となる。
■1590年代
豊臣家の有力武将として活動。
この頃から「幸村」の名が広まる。
➤豊臣家への忠誠が固まる
■1600年(関ヶ原の戦い)
父とともに西軍側につき、
上田城で徳川軍を足止めする。
相手は
→ **徳川秀忠**率いる大軍
➤少数で大軍を翻弄する戦術を成功させる
しかし西軍は敗北。
■1600〜1614年
敗戦後、高野山麓の九度山に流罪。
約14年間、雌伏の時を過ごす。
➤武将としては不遇の時代
■1614年(大坂の陣・冬)
豊臣方に呼ばれ復帰。
主君
→ 豊臣秀頼
大坂城に「真田丸」という出城を築き、
徳川軍を何度も撃退。
➤日本史屈指の防衛戦を成功させる
■1615年(大坂夏の陣)
最後の決戦。
幸村は決死の突撃を敢行し、
徳川本陣へ肉薄
相手の総大将
→ 徳川家康
家康をあと一歩まで追い詰める。
➤戦国最後の英雄的突撃
まとめ
真田昌幸の次男として生まれた知将の家系
豊臣家に忠義を尽くした武将
少数で大軍を翻弄する戦術家
大坂の陣で徳川家康を追い詰めた英雄
➤「戦国最後の名将・悲劇の英雄」
と呼ばれる人物です。
■1615年 大坂夏の陣
幸村は豊臣方として参戦し、
主君
→ **豊臣秀頼**を守るため最後の戦いに臨みます。
徳川軍は圧倒的兵力を誇り、
総大将は
→ 徳川家康
■最後の突撃
劣勢の中、幸村は決死隊を率いて徳川本陣へ突撃。
家康本陣を何度も崩し、
あと一歩で家康に迫るほどの激戦となります。
➤家康が自害を覚悟したとも伝わるほど
■討死
激戦で疲労し、安居神社付近で休息中、
徳川方の武将に討たれ戦死。享年49。

