井伊直政の名言 歴史

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「成敗利鈍にいたりては、あらかじめ知るべからざるものなり。ただひたすらに行動すべし」

で知られる井伊直政は
戦国時代末期〜江戸初期に活躍した武将で、
徳川四天王の一人として知られ、勇猛果敢な戦ぶりか
ら「井伊の赤鬼」と称されました。
徳川家の天下取りを実現させた中心人物として知られています。

■1548年
三河国に生まれる。
幼い頃から **徳川家康**に近侍し、小姓として仕える。

■1560年代
家康の三河統一戦に従軍。
若くして武勇を認められ、徳川家の中核武将へ成長。

■1570年頃
各地の戦で先鋒・突撃役を務める。
この頃から勇猛な武将として名が広まる。

■1575年
武田軍との戦いに参加し、徳川軍の主力として活躍。
家康からの信頼が一層厚くなる。

■1582年
本能寺の変後の混乱期、
家康の「伊賀越え」を護衛し無事帰国に貢献。
忠義の将として評価が確立。

■1584年
小牧・長久手の戦いで徳川軍主力として参戦。
勇将として徳川家中での地位を固める。

■1590年
家康が関東へ移封されると、康政も関東へ。
上野館林10万石の大名となり、
徳川家中でも有力外様級の譜代大名へ出世。
※この頃の天下人
→ 豊臣秀吉

■1600年
関ヶ原の戦いでは東軍として参戦。
徳川勝利後も重臣として政権基盤を支える。

まとめ
徳川家康の近習から出世した武将
徳川四天王の一人
突撃戦・先鋒戦に強い猛将
忠誠心が非常に高い家臣

➤徳川家の武闘派の柱で、
「忠義と武勇の両立」を体現した人物です。

井伊直政の最期

■関ヶ原の戦い(1600年)
直政は **徳川家康**率いる東軍の先鋒として参戦。
赤備えを率いて激しく戦い、
敵陣へ突撃するなど大きな武功を立てます。
しかしこの戦で鉄砲傷を負いました。

■戦後
徳川政権成立後、近江彦根18万石の大名となり、
重要拠点の守りを任されます。
ですが関ヶ原で受けた傷は完全には治らず、
体調を崩すようになります。

■1602年(慶長7年)
関ヶ原の負傷がもとで病死。享年41。
戦死ではないものの、
戦場の傷が原因で亡くなったため、
実質「戦による最期」と言われます。