「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは、天地格別にて候」
で知られる北条氏綱は
戦国時代前期の武将で、後北条氏の勢力を一気に拡大させた実力者です。
父 **北条早雲**が築いた基盤を受け継ぎ、関東の大大名へ成長させました。
■1501年頃
相模の戦国大名
→ **北条早雲**の子として生まれる。
後北条氏の後継者として育つ。
■1519年
父の死後、家督を継ぐ。
まだ関東の一地方勢力だった北条家を引き継ぐ。
氏綱の代から本格的な勢力拡大が始まる
■1524年
上杉勢力を破り、
**江戸城**を奪取。
関東進出の大拠点を確保
後の江戸支配の基盤を作る
■1520〜1530年代
武蔵・相模・伊豆で勢力を拡大。
周辺の城を次々と攻略し、北条の領土を拡張。
関東南西部の主導権を握る
■1537年
武蔵国の重要拠点・河越城を奪取。
関東支配の中心地を確保
後北条氏が関東の大勢力へ成長
■1530年代後半
伊勢姓から「北条」姓へ正式改称。
➤鎌倉幕府の執権北条家の名を継承
➤関東支配の正統性を強化
政治的に非常に大きな意味を持つ改革でした。
■晩年
領国経営を整備し、
城郭ネットワークの強化
家臣団の統制
支配制度の整備
➤息子 **北条氏康**の時代の最盛期の土台を作る
■まとめ
江戸城・河越城を奪い関東進出を成功させた
北条姓を名乗り支配の正統性を確立した
領国制度を整え後北条氏の基盤を作った
➤「北条家を地方勢力から関東の覇者へ押し上げた拡大の名君」
と言えます。
北条氏綱の最期
**北条氏綱**の最期は、戦死ではなく病による死でした。
1541年、病のため死去。
家督は子の **北条氏康**が継ぎ、後北条氏はさらに勢力を拡大していきます。
➤拡大政策の途中で世を去ったが、
関東大名としての基盤を完成させての最期でした。

