「城は堅固なりとも、内徳なければ危うし」
で知られる島左近は
戦国時代末期、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と称された名将、主君石田三成に仕え、関ヶ原の戦いで奮戦したことで知られています。
1540年代|誕生
- 大和国(現在の奈良県)に生まれる
- 本名:島清興(しま きよおき)
👉 出自は筒井氏家臣とされる
若年期|筒井家に仕える
- 筒井順慶に仕官
- 武将として経験を積む
👉 大和の有力勢力の中で成長
1584年|筒井家の衰退
- 順慶死後、家中が混乱
- 筒井家は没落へ
👉 左近は浪人状態となる
1580年代後半|各地を転々
- 浪人として諸大名に仕える
- 武勇と知略で名声を高める
👉 「雇いたい武将」として評価される存在に
1590年代|石田三成に仕官
- 石田三成に召し抱えられる
- 破格の待遇(高禄)で迎えられる
👉 三成が自らの俸禄を削って雇ったとも言われる
三成のもとでの活躍
- 軍事面で三成を支える
- 実戦指揮官として活躍
👉 三成の弱点(軍事)を補う存在
1600年|関ヶ原前夜
西軍の中核として活動
- 三成の右腕として参戦準備
- 戦略面でも助言
👉 西軍にとって不可欠な人物
黒田官兵衛の最期
1600年9月15日|関ヶ原の戦い
配置
- 西軍主力として布陣
開戦直後の奮戦
- 東軍に対して激しい攻撃
- 一時は優勢とも言われる
- 鉄砲による重傷を負う
👉 これが戦局に大きく影響
最期
- 戦場で討死(または自害)
- 享年60前後とされる
👉 最後まで戦い抜いた

