「大悪日だから出陣するのだ。われの本意は、2度とここに帰らないことにある」
で知られる福島正則は
戦国時代から江戸初期にかけて活躍した武将・福島正則は、「賤ヶ岳七本槍」の筆頭として知られる豪勇の将です。豊臣秀吉の親族という立場から出世を遂げ、関ヶ原の戦いでは徳川家康側につくなど、時代の転換点に深く関わりました。
■1561年|誕生
・尾張国(現在の愛知県)に生まれる
・母が豊臣秀吉の叔母であり、幼少期から秀吉に仕える
➤この「血縁関係」が、正則の人生を大きく左右しました。
■1578年|初陣
・播磨・三木城攻めで初陣(18歳)
・若くして戦場に立ち、武将としての第一歩を踏み出します。
■1582年|本能寺の変と山崎の戦い
・織田信長が明智光秀に討たれる(本能寺の変)
・山崎の戦いで秀吉側として活躍
➤この戦いで秀吉の天下取りが現実化し、正則の出世も加速。
■1583年|賤ヶ岳の戦い(最大の転機)
・柴田勝家との決戦
・敵将・拝郷家嘉を討ち取る大功
➤この功績により
➤「賤ヶ岳七本槍」の筆頭に
知行:5,000石に加増
■1587年|大名へ出世
・九州征伐後、伊予今治11万石の大名に
➤一介の小姓から大名へ急成長。
■1592年~1598年|朝鮮出兵(文禄・慶長の役)
・兵站や補給を担当
・水軍に敗れるなど苦戦も経験
➤この頃から、石田三成との対立が激化。
■1595年|清洲24万石の大名へ
・尾張・清洲に加増移封
・豊臣政権内でも有力武将に成長。
■1599年|豊臣政権の内紛
・前田利家死去後、石田三成と対立
➤武断派(正則) vs 文治派(三成)の対立が激化。
■1600年|関ヶ原の戦い
・徳川家康側(東軍)として参戦
・武功をあげ勝利に貢献
・この選択が後の運命を決定づける。
■1600年|広島49万石の大大名へ
・安芸・備後(広島)を与えられる
➤西日本屈指の大名へ出世。
■1614~1615年|大坂の陣
・豊臣家滅亡の戦い
・正則は参戦を許されず江戸に留め置かれる
➤豊臣への忠義と徳川への立場の板挟み。
■1619年|改易(転落)
・広島城の修築問題を理由に改易
・信濃川中島へ減封・転封
➤大大名から一転、地方小大名へ。
1624年、静かな死
- 1624年(寛永元年)死去
- 享年64
死因は明確ではありませんが、
- 老衰
- 長年のストレスや失意
が背景にあったと考えられています。

