「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば」
で知られる本田忠勝は
戦国〜江戸初期に活躍した武将で、徳川家の重臣「徳川四天王」の一人。
生涯57戦無敗・かすり傷なしという伝説的武勇で知られます。
・誕生と家康への仕官(1548〜1560年代)1548年:三河国に本多家の子として誕生
幼少から**徳川家康**に仕える
若くして合戦に参加
👉 家康の側近武将として育つ
・三河統一戦で頭角を現す(1560年代)
三河一向一揆などの内戦で活躍
槍働きで名を上げる
家康の親衛隊的存在へ
👉 徳川家の主力武将に成長
・対武田戦争で武名を轟かす(1570〜1580年代)
最大の見せ場が
武田軍との戦い。
三方ヶ原の戦いで殿軍を務める
武田騎馬軍団の追撃を食い止め
勇猛さで敵味方に名が知れ渡る
「徳川最強の武将」と評される
・豊臣政権下でも徳川の柱(1580〜1590年代)
天下統一を進める
**豊臣秀吉**の時代。
家康の重臣として外交・軍事に従事
徳川家の存続に貢献
大名として領地を与えられる
👉 単なる武人から大名へ
・関ヶ原前後の重鎮(1600)
1600年、天下分け目の戦い。
家康軍の中心武将として参戦
戦後、大名として地位確立
👉 徳川政権の功臣として評価される
・江戸初期の老臣(1600〜1610)
江戸幕府成立後も重臣として存続
若い将軍を補佐
家名の安定を重視
本田忠勝の最期
1610年、領地の桑名で死去。
享年63。
死因は
老衰説
病死説が有力で、戦死ではありません。
👉 数多の戦をくぐり抜けながら
戦場で傷一つ負わず生涯を終えたと伝えられます。

